カイロプラクティックが誕生したのは今から126年前の1895年。

私が考案した関節ニュートラル整体のベースはカイロプラクティックの最も効果的な手技であるモーションパルペーション&マニュピュレーション(動的触診法と手技療法、以下MPと省略)です。

この技術はカイロプラクティックが法制化されていないベルギーのドクタージレーによって考案されたものです。

関節の運動は、自動運動、たわみ運動、遊び運動の3段階があります。
MPは全身に存在する約200個の関節の8方向の遊びを検査し、異常があればアジャスト(インパルス、リコイル、ボデイードロップに大別されます)し、再度検査して遊びが回復したことを確認する画期的な技術です。

農業が誕生したのは紀元前8000年前。その当時の世界の人口は約500万人でした。
農業の誕生で人工が緩やかに増え続け、1800年代には10億人に到達しました。

そこから急激に人口増加が起きたのは産業革命による経済発展が要因です。
カイロプラクティックが誕生した当時の平均寿命はそれまでと同じ30歳でした。

世界史を見ると人類が巻き込まれた世界大戦の後に平均寿命が急激に伸びていることがわかります。

ドルストリートを交通手段で見ると。

レベル1 一人当たり1ドルから2ドルまでの収入。交通手段は自分の足。

レベル2 一人当たり4ドル。 頑張れば自転車に乗れる。

レベル3 一人あたり12ドル。 バイクが購入できる。

レベル4 一人当たり32ドル。 車が購入できる。

繰り返しますが、これまで世界の平均寿命は30年でした。

そしてエネルギーの観点から世界史を見ると、木材の歴史が最も長いことがわかります。

ペリー来航(1853)までは日本人は一人平均年間10本の立ち木を消費していたことがわかります。

石炭の歴史は300年。

石油の歴史は100年。

これがITに変わったのが現代社会です。

木材に依存していた社会では85パーセントがレベル1の生活(そのひぐらし)だったのです。

現在の世界の人口は76億。

世界の平均寿命は72歳。

レベル1の生活を余儀なくされている人間はわずかに0.9パーセントに改善されているのです。

翻ってわが日本国を俯瞰してみましょう。

大東亜戦争(第2次世界大戦)が終息して2年後、1947年(昭和22年)に日本人の男性の平均寿命は初めて50歳になりました。

その14年後の1961年(昭和36年)男性の平均寿命は65歳まで伸びたのです。

それが今では男性の平均寿命は80歳。

私がセラピストの修業を開始した今から43年前は、75歳以上は80人に1人。
それが今では8人に1人。

小型のワンちゃんや猫ちゃんの平均寿命はそれまでの3倍の15年。

セラピストも60歳から90歳までの患者さんに対応できる技術にアップデートしなければ生き残れません。

それが関節ニュートラル整体なのです。

私はすべての代替医療に従事しているセラピストに生涯活躍していただきたいと願っています。

このような理由で、リハビリテーションと手技療法の究極の発展形である関節ニュートラル整体を皆様にマスターしていただきたいのです。